やっととりあえず2006年原付の旅 東京→盛岡のupが完了しました。
なんというかタイムリーな地名がどんどん出て来て改めて今回の震災の、現地のことを考えました。
もちろん今私がいる東京も決して被害がないわけではありませんが、東北に比べたら屁みたいなもんです。
今現在、個人でのボランティアは募金や物資を自治体や企業に託すことしかできないから、
心中の不安を消すように仕事する。
利己主義な買い占め、ガソリンスタンドに並ぶ都民を見て正直吐き気がする。
だからって私に何ができるかっていうと上記の募金などしかないのが本当に悔しい。
いま、現地に行っても経験がないので救助なんてできないし、逆に足手まといになる。
本当に悔しい。
食べ物のことばかりで恥ずかしいけど、三陸をはじめとする東北、北海道の海産物は本当においしい。
それがこの先何年も食べれなくなるなんて、悲しすぎる。元の漁業ができるようになるまで長い年月がかかるでしょうが、立ち直ってほしい。
そのために国には援助等惜しまないでほしい。そのために消費税があがるなんて大したことじゃない。
夏に九州周遊を計画していたけど、北に行こうと思う。また原付で。そしてまた北海道入りかな。
行って何ができるかわからないけど。
また続いて屋久島編もupしたいと思います。
3月 17, 2011
2006原付の旅 東京→盛岡10
2006原付の旅 東京→盛岡9
2006原付の旅 東京→盛岡8
2006原付の旅 東京→盛岡7
この日の宿を気仙沼に決めて遠野を出発。確かけっこういい時間になっていてちょっと焦っていたのを覚えてる。県道35号線を通って三陸海岸沿いを走る国道45号線を目指す。
釜石でウニ丼の誘惑につられつつ、「気仙沼でたらふく食べよう!」と思いひたすら走った。
地図を見て今回の震災地を思う。
三陸の恩恵でおいしい海産物が豊かな街ばかり。
そして三陸がゆえに、平地ではなく、漁村と山を繰り返す海岸線なんですよここは。だからこそ救助の陸路開拓も難しい。孤立してしまう。
旅の話に戻すと、気仙沼に着いたはいいけど、まずネカフェがない。気仙沼・・地名度より意外とのどかな田舎街で焦る私。そして気仙沼に着いたのは夜19時をすぎていた。。
ちょっと迷ったけど、携帯で検索して石巻ならネカフェあるということが判明。夜道は怖いけど勇気を出して、いざ石巻へ!
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